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人のアドバイスはだいたい適当だ

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人がアドバイスする時は適当なことが多い。なんとなく思ったことを、あたかも深い洞察から得たこの世の真実のように繰り出し、悦に浸る。実際は思いつきでしかない事が多いのだが、その発言に責任を取るものはどれほどいるのだろうか。

 

北海道でセミナーをしてほしいという依頼

ある業界では有名で懇意にしている方がいるのですが、その方に「北海道で講演会をしてほしい」というお願いがあった。「周りの人も待ち遠しく思っていて大盛況は間違いないからやった方がいい」と息を荒くして言っている。過去の開催人数などや最近の業界の傾向を見ると、開催するのはかなりのチャレンジのように思えた。運営で私がついていくと、最低二人分の東京と北海道の往復の交通費だけでも高い。会場費も合わせるとそれなりの人が集まらないといけない。しかし、講師は人が良いので、開催してしまったのだがこれが大失敗。なんと、やって欲しいとお願いした方が参加しないという当時の私には理解しがたい事態も発生していた。結果はほんのちょっとだけ黒字であったが、ギリギリ。過去の開催例と比べると失敗だった。

 

肩書はあるが関係ないポジションの人からのサイトの改善案

ホームページの運営は多角的な視点も必要になる。自分が使いやすいように設計しても他人から見ると使いにくくなったりすることもある。だから他人からの意見は貴重である。しかし、Webサイトはペルソナを設定し、コンテンツの配置の一つ一つ、キャッチコピーにも理由をつけて行っている。だからこそ、設定したターゲットの属性とまったく違う人からもらう思いつきのアドバイスほど危ないものはない。肩書があればなおさらだ。周囲も同調し、発言が正解のように扱われてしまう。その案を導入して結果が良くなることはほとんどない。だから僕はWebに関する提言を聞く時はその人がどの視点で発言しているかを特に気をつけている。

 

大切なことは真摯に受け止め、自分で選択すること

適当だとタイトルにも書いたが他人の意見はやはり貴重なものだ。それをクソバイスだからと受け流すのはもったいない。ただ、それを信じすぎてはいけない。ただ単に信じて導入することは頭を使わず責任を他人になすりつけようとする行為だ。相手の意見を受けて検討し答えを出す行為が、自分を前に推し進める力となる。例えばブログを運営していると第三者から意見をされることがあるかもしれない。それを一方的に否定して受け入れないのもいいだろう。自分のブログだ。好きにするのが良い。ただ、ブログ運営を通して、知識や情報を取り込み、前に進もうと思うのであれば、人の意見を聞いて、迷い、そして取捨選択していくことの大切さを知っていてもいいと思う。自分の責任を取ってくれるのは自分しかいないのだから。もし、考えても判断ができなくなれば瞑想をしよう。

 

 

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